34歳で朝ドラ出演、そしてブレイク
野田:『ダブル』の作中では多家良が少しずつ注目されてきたタイミングでもあるので、今日はその「売れる」ということについても詳しく伺いたいなと思っています。
板橋:ここ十何年、ぜんっぜん忙しくならなかったですね。狭くて汚い風呂もないアパートで、そこで毎日のように劇団のメンバーと芝居の話で喧嘩したりしてました。うちから(ロロ主宰の)三浦の家まで歩いて2、3分だったから、ほぼ毎日、風呂を借りに行ってました。本人が居なくても勝手に入って、お返しに部屋を綺麗に掃除して帰るっていう(笑)
でも、あのときだって俺は「ここから世界に行ってやる」って思ってました。絶対売れてやる、と。
野田:その「売れたい」っていう気持ちの裏にはなにかあったんですか?
板橋:売れるってことは、色んな作品に出られるってことだからですね。俺、子どもの頃に見て人生最初の衝撃を受けた映画が『メジャーリーグ』『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』『キッズ・リターン』の3本だったんです。見終わっても興奮がおさまらないというか。今思えば、あの画面のなかの人たちみたいになりたいっていう気持ちが強かったんだなって。そんな風に、自分がやった役で誰かを興奮させられる人になりたいっていう思いですよね。売れるってことは、その可能性が高くなるってことだから。
野田:それが昨年、34歳で『なつぞら』に出演してブレイクされたわけですが、それ以降は、だいぶ忙しくなられたんじゃないですか。
板橋:そうですね。丸一ヶ月仕事ナシなんていうのがザラだったのが、『なつぞら』に出演した去年の4月以降、ほぼ毎日スケジュールが埋まってる状態が続いてます。本当にありえないくらい。
野田:体力的に辛くなったりはしませんか?
板橋:去年の4月に『なつぞら』のキャストとして名前が出て、5月に『有吉ジャポン』に初めて出させてもらったんですよね。そのあと6月いっぱいロロの舞台『はなればなれたち』があって、7月からバラエティのロケやら、ドラマの仕事が8月の頭までみっしり入っていて、俺、こんな人生経験したことないよっていうくらい忙しかった最中に、突発性難聴で耳が聴こえなくなったんです。7月中、ずっと左耳が聴こえなくて、この状況に俺、追い付いてないっておもったんです。とにかくこの状況に慣れるまでがんばれ俺と思ってたら、8月の半ば頃、ドラマの仕事が全部終わったところで治ったんですけどね。
逆算の仕事選び
野田:実は編集さんから、板橋さんが友人たちと飲んでいてその場のノリで、某視聴者参加型番組に勝手に応募してしまい、それを知らされた佐々木さんが止めた、というエピソードを聞いたんですが、それは本当だったんでしょうか?
板橋:本当です(笑)。
佐々木:ちょうど朝ドラが決まったタイミングで。ここからだと思っていたところでそんなメールがきて、「何もわかってない!」と。なにより、こういうことを自分で勝手に決めちゃうということは、マネージャーは要らないと思われてるんだなあと、それが本当に悔しかったです。
野田:マネージャーさんのなかで、担当している俳優さんをこういう風に売って行きたいとか、この人のこういうところが魅力だと認識している部分ってあると思うんですけど、それと本人の希望や自覚している魅力がかけ離れていることってあるんでしょうか。マネージャーとしては、本当はこういう仕事をしてほしいのにちょっと違う方向へいってしまったなあ、なんかイメージどおりに行かないなあ、みたいなことってありますか?
佐々木:今は、本人がこれまでしてきた仕事内容とは違い、初めてな事がたくさんあるので、まずはやってみる。数こなして新たな魅力を見つけて活かしていきたいので、ひとつひとつの仕事を本人と確認し、今後は「どう進もうかな」などを考えています。
板橋:佐々木さんから「この役は今までとは違うし幅を出していきたいんだけど、どう思う?」と聞かれ、お互いの意見を交換し、相談しています。
佐々木さんは舞台がすごく好きで俺がロロを続けることには理解があって、すごく助かってます。「この期間、ロロの舞台が入っちゃうんですけど」って言えば、「その分、これだけの仕事は減っちゃうかもしれないけど、その覚悟をしてやってね」と。ロロはメンバー全員、主宰の三浦が書くものが一番面白いと思ってる集団。だから俺も三浦が面白いものを書く限り、ロロの舞台に立ち続けたいんです。
佐々木:ずっと続けてきたことは、簡単に手放さずに続けるべきだと思うんです。それが無駄になることはないと思っているので。
板橋:それと、佐々木さんって信じられないくらいミーハーなんですよ(笑)。本当に興味の範囲が広い。ほぼ毎日、寝落ちしてるっていうから、何してるんですかって聞いたら、「ラジオ聞いてるか、テレビ観ながら仕事して、そのまま朝になってる」って。
佐々木:単に知りたがりなので(笑)。自分が好きで追いかけていたものが仕事に繋がることも多いですし。知っていないといけない、っていう感情に駆られてしまうんですよね。でも、全然知らないことのほうが多いし追い付いていません……。
野田:それが、やっぱり仕事に活かされるんですか?
板橋:めっちゃ活かされてます。俺、テレビに疎いんですよ。だから「これってどんな番組なんですか」って聞くと、誰が出ていて、こういう番組ですって説明してくれる。
野田:文脈がわかったうえで仕事選びをする、ということでしょうか。
佐々木:文脈というか、彼に「売れたい」という気持ちがずっとあるじゃないですか……とにかく今は、露出したい。と考えていて、スケジュールなどの物理的な問題が無い限り、お仕事を断らず、バラエティでも情報番組でも、いろんなことに挑戦をさせてもらっています。
《板橋駿谷》という商品をいかに売るか
野田:俳優さんとマネージャーさんの関係というのは、ある種、漫画家と担当編集者に近いところがあると思うんですけど、我々の場合は真ん中にあるのが漫画家本人じゃなくて描いている作品。それに対して話し合うので、割とフラットな気持ちでいられるんですが、俳優さんの場合は真ん中に俳優さん自身がいらっしゃるわけじゃないですか。もちろん俳優である自分とプライベートの自分があって、その間で板橋駿谷像を構築するわけですが、自分に対してそういう風にやりとりをする状況って、どういう気持ちなんでしょうか?
板橋:俺、25歳くらいのころから、どちらかというとビジネス的な視点で、板橋駿谷という商品をどうやって売り出すかってことを常に考え続けてたんです。まずは事務所に入らないと窓口がなくて大きい仕事は来ないから、60通くらいいろんな事務所に手紙を書きました。全部、返事は返ってきませんでしたけど。返事がこないなら向こうから話が来るまで、とことん舞台に出まくってやる! と思って、3年計画を立てた。まず1年目は、小劇場界で俺の名前を知らない奴がいないようにする。そのために再演とか地方公演も含めて年間15本舞台に出たんです。バイトができなくても、親戚から借金してでもこれはやろうと。で、2年目には決め打ちで大きな舞台に出る。で、そこで事務所を決めて3年目には映像に行く。その計画通りに進んできたんです。といっても、事務所に入れたのは、たまたまバイト先で一緒だった俳優さんの友達経由で今の事務所の社長が、俺が出演する舞台のチケットを渡してくれたからなんですけどね。その舞台を見てくれた社長がうちに来て欲しいと言ってくれて、事務所に入ったのが28歳のとき。その2年後に佐々木さんが入ってくるんです。
野田:今回のインタビューに合わせて、板橋さんが受けてらしたインタビュー記事を読ませて頂いたんですけど、割と自分がやっていることに対して自覚的なんだなっていう印象を持っていたので、今日リアルにその辺をお聞きできて嬉しいです(笑)
板橋:基本的に相談は経営者の人にしてましたね。親父が経営者だったんで親父に聞いたり。特に親父に言われて印象に残っているのが、「芸能界は椅子取りゲーム。よく見わたせば、どこかに自分に向いている椅子があって、そこがちょっとでも空いたら座れるぞ」という言葉ですね。ただ、そのためにはまずそれは本当に自分が座れる椅子なのか、空いてはいても自分には座れない椅子ではないのかということを見極めていかなきゃいけない。そのためには自分ができることとできないことを知る。たとえばビジュアル的に自分と似たタイプの人にあって自分に無いもの、反対に自分にあってその人に無いものは何かっていう風に、細分化して考えて行かないとダメなんです。俺は友仁くんや多家良くんとは違って天才ではないので、凡人だからこその戦い方をしなきゃいけない。とにかく、自分という商品をどう回していけばいいか、ということをすごく考えてました。そんな感じで、まずは商品としての《板橋駿谷》っていう存在があったから、「板橋駿谷には、こうしてほしいんだ」って佐々木さんに言われても、俺自身が言われているという気がしないんですよね、あんまり。
これでダメならやっと辞められる、と思って臨んだ『なつぞら』
野田:どんな役者さんでも、売れるきっかけってあるじゃないですか。そういう意味で、朝ドラはやっぱり狙ってたんですか?
佐々木:そうですね。台本を貰ってみたら、とてもいい役だったので、決まった時は嬉しかったです。
本人もよくいろんな所で話してますけど、「この役で跳ねなかったら辞めよう」って言って……。
板橋:そう、辞める気でした。「やっと辞められるなあ」って思ったんです。役者って誰に命令されてやってる仕事でもないから、辞めるきっかけってないんですよ。だから『なつぞら』の台本を読んで、本当に素直に「あー、やっと夢っていう呪縛から解かれる」と思って、めちゃくちゃ安心したんです。それまで「売れてやる」ってガンガン進んできてたのに、さすがに35歳を目前にして、もう息継ぎできないくらいになっちゃってた。だから、これでダメだったら、やっと何にもない状態で人生リスタートできるんだと思って安心したんですよ。そうなったら、本気で田舎に帰って農業やろうと思ってました。
佐々木:いい役に巡り会えたと思ったので、今後も活躍できる場を作ることが必要だと思い、私がやれることは全てやりました。
板橋:「なつぞら」の時は、「番長」って役を後押しするように「34歳で高校生役!」などいろんな話題作りをして、一気に押し上げてくれた。
佐々木:これで行けるという確信はなかったんですが、メディアには出るということは大事だなと思ってました。いい役に巡り会えるというのも、ひとつのきっかけでしかないとおもっていて、それからが勝負といいますか……。
野田:この先は、何かまた新たな展開を考えてらっしゃるんですか?
佐々木:今、バラエティのお仕事もしながら、ドラマや映画の現場にも参加できているのですが、もっといろんな仕事に触れ忙しくならないと「売れてる」と本人も思わないでしょうし……今後はもっと俳優として活躍できる場をふやし、いろんな役を経験させたいです。
野田:いまはそのフェーズという感じなんですね。
板橋:全然、まだまだですから。今日、町歩いてても誰も気づいてないですもん。電車にも普通に乗れてるし(笑)。
この一年間、ずっと「番長」で通ってきたので、今度は「板橋駿谷」っていう名前を覚えてもらわなきゃいけないと思っています。